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ちょっと変な塾長のブログ 

ライトハウス・アカデミーに関わる全ての人がHAPPYになりますように・・・・願いを込めて

取りに戻れない忘れ物

先日、娘が15才になりました。

娘が生まれた頃、妻は持病で入退院を繰り返していました。

0才~5才位までは、ほとんど私一人で育ててきました。
当時、シングルファザーもどきは割と珍しかったのか、保母さんは奮闘する私を「伝説のお父さん」と呼んでくれていました(笑)

その頃、私と娘はいつも一緒。

特にお休みの日は朝から晩までずーっと一緒。
(今から思えば)そんな毎日、とてもぜいたくで幸せだったと思います。
10分すらゆっくりする時間がとれない毎日でも。

それでも当時、娘を一人で育てるようになった最初の頃は、もうどうしていいかわからず途方にくれていました。
料理なんて全くできない私が、娘の朝、晩のごはんを準備。

民間の保育園には入れましたが、でも、ちょっとでも熱がでると保育園では預かってもらえません。
小さな子供は、しょっちゅう熱をだしまくり!

そして、そんな時に限って大事な仕事の予定が・・・・
「どうしよう、仕事にならない。こんなんじゃ、つぶれてしまう!」
パニック寸前になることもしばしばでした。

「病気は仕方ない。娘が悪いわけじゃない。」

そうは思ってもつい、イライラして娘を怒ってしまったこともあります。
皆さんも、こんな覚えありますよね~(笑)

わるいことしたな~と今は思っています。
まぁ、覚えていないでしょうが(^.^)

一方、素敵な思いでもあります。

娘が4歳位の時だったと思います。
仕事と娘の育児、そして妻の病状が思わしくなく、珍しく弱気になっていた私。
その時、私の顔から一切の笑顔は消えていたと思います。

そんな時、娘が言った言葉を今でも覚えています。

「大丈夫だよ。パパは一人じゃないよ。ほのがいるからね。大丈夫だよ。」

そういって、ぎゅっと私を抱きしめてくれました。
小さな子供。でも、その小さな女の子の優しさに私は救われていました。

たくさんの宝石のような思い出を娘にもらいました。
娘と一緒に、私自身も一つずつ成長していったように思います。
忙しくとも、ずっとこんな日が続けばいいのにとどこかで思っていました。

娘が小学校に入る頃から少しずつ妻の病状が回復。
娘の世話も、少しずつ私だけの担当ではなくなっていきました。
安心した私は、徐々にそれまでの時間を取り戻すかのように、好きなサーフィンやサックスに夢中になっていきました。
失った自分の時間を取り戻す。
どこか当然のようにも思っていました。
そして「親が人生を楽しんでいる姿を見せるのも、教育の一つの形」と自分に言い聞かせていました。

まあ、たしかにそうかもしれません。
子供がある程度大きくなったときには。

「伝説のお父さん」とまで言われた私も、娘が中学受験をむかえる頃にはすっかり一緒に過ごす時間が減っていました。
更にそれに輪をかけて、当時、職業訓練校をオープンさせたり、不動産屋の経営をしたり。
(現在、これらの仕事はしておりません。ボチボチ成功していましたが、思うところがあって休止及び譲渡しております。)

一緒に過ごす時間は一層減っていきました。


私はこれまでの人生、ほとんど後悔することはありません。
ただ一つを除いては・・・

どうして娘が「遊んでほしい」と言った時、もうちょっと遊んであげなかったのか。

そんなこと、ふっと考えたりします。

子供が子供でいられる時間はそれほど長くはない。
気づきませんでした。

幸い、まだ息子たちは4歳。
今度は悔いのないようにしたいと思います。

p.s.

今、子供たちは夏休みのまっさかりです。
暑苦しいときに、ワガママし放題の子供と一緒では、余計暑苦しくなりますよね!?

がんばってくださいね。保護者様。

そして、このたった一度きりの夏休み

保護者様もどうか忘れ物がありませんように(^.^)



image.jpeg
職場の壁の一部






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